五天山公園を後にして再び市道平福線に戻る。この道路はその名の通り福井
地区と平和地区とを結ぶ2キロ足らずのごく短い道路なのだが、両地区の行き
来は古くからあったらしく、昭和初め頃の地図にはもう細々とした小径が載って
いる。確かに福井地区から左股通りを「西野二股」まで下って、また右股通りを
上って平和地区に向かうのは大きな遠回りであったろう。
しかし、この道は五天山西側の鞍部を通るため坂の勾配がきつく、最近まで
冬季の積雪時には車両通行止めになっていた。そこで、短い道路ではあるが
札幌市建設局土木部では平成19年峠部に138mのトンネルを通して通年交
通を実現させた。以前にこの地区を歩いた時はまだ工事中で、現場を見下ろ
しながらトンネルの上の旧道を歩いた。
坂道を上って行く途中、他所では余り見られない様々な野の花が沿道に咲き
誇っており、小雨の中でもウォーキングの足を立ち止まらせずにはいられない。
新設のトンネルを抜けて平和地区へと坂道を下って行くと、沿線の途中に自
治会の集会所らしい「平和第二会館」があるが、前庭には昭和3年建立「開村
用水記念碑」が座っている。
西野地区は、明治30年代に相次いで着手した農業用水路掘削の推進により
米作が進み、「西野米」の名で札幌近郊有数の米どころとなった。しかし、戦後
は、食生活の変化と農地法の改正で水田が激減、札幌近郊のベッドタウンとし
て農地の宅地化が進み、今では畑地も少なくなった。現在の西野地区には用
水路の遺構は残っていないが、3つの用水開削記念碑が当時の偉業を記憶に
留めている。
平福トンネルへの上り坂
平和地区「開村用水記念碑」