篠津の中心部十字路から西へ進み中島地区へ向う。道路の左手には広大な牧草地、右手にはこれも広大な水田が開けている。水田の畦には泥炭地特有のスギゴケの枯れ草が織り込まれて補強材の役割を担って、水田の保水に役立っている。
1キロほど歩いて旧石狩川に架かる「中島橋」を渡ると中島地区の集落に出る。橋の両側の旧堤防は今でも形を保っていて、中に黄褐色の川跡の溜まり水が茂った河畔林に取り巻かれて静謐な佇まいを示している。
中島橋と旧石狩川
中島集落のT字路を南に折れて500mほど進むと、右手に「巣守神社」の鳥居が見えてくる。巣守神社というのは、新潟県長岡市(旧栃尾市)の東5キロの栃堀地区にあって、毘沙門天を祀り戦勝祈念と五穀豊穣を願うそうだが、この中島集落に祀られた経緯がよくわからない。多分、集落に入植した住民が持ち込んだと思われるが、知る手掛かりがない。 地区が中島という名前になったのも石狩川の捷水路工事完成以後のことだから、地域としての神社の伝統はまだなく、個人所有の神社との位置付けではなかろうか。
巣守神社
現地は、鳥居の正面奥に普通の住宅があって無人らしく、どうも社殿のようには見えない。狭い境内の左方には、「畜護神之祀」と彫られた石碑が一つあり、牛馬頭観音らしき碑である。台座には昭和10年建立とあるが、昭和25年頃の地図にはまだ神社の印がない。右方には小さな手洗鉢が横倒しに置かれて水が抜かれていた。
畜護神之祀の碑