「中央通」は、昔の岩見沢駅があった場所から真っ直ぐ南東に伸びる市の機軸道路であった。また昔の国道12号線(旭川国道)もこれと直角に交叉する機軸道路で、国道が南方にバイパスした後、現在の四条通(道道6号岩見沢月形線)となっている。
中央通の南端は「東山総合公園」に突き当たったところで二股に分岐するが、市役所庁舎と岩見沢神社とが対面する真ん中の小さな三角地帯を「鳩が丘記念緑地」と呼ぶ。この地の中央に記念タワー「和を捧ぐ」という名の15m高さの記念モニュメントが空に伸びている。米国2市との国際姉妹都市交流を記念したプレートも置かれている。
鳩が丘記念緑地と記念タワー「和を捧ぐ」
「岩見沢神社」は、明治18年創祀で、同29年の岩見沢大火で焼失、翌30年に現在地に遷座・再建された神明造の空知一ノ宮(旧社格で県社)である。まさに岩見沢の鎮守として開拓以来の歴史を誇る。
立派なコンクリート製の社殿の周囲を取り巻く境内には、様々なモニュメントや記念碑、記念樹があるが、特筆すべきは明治38年建立の岩見沢の開村記念碑というべき、「巌見澤紀碑」がある。碑文の内容は岩見沢の地名の由来に始まり、岩見沢開拓創業期の約20年間の郷土沿革史の概要が記録されていて、市の有形文化財に指定されている。
「巌見澤紀碑」の碑文冒頭(拡大)