我々のような年代の者にとっては、「市立札幌病院」と言われてもピンと来ない。「市立病院」と聞くと、あ、わかったとなることが多い。もちろん、市立病院という名の病院は、各自治体市に大抵はあり、文章の順序としては、「市立○○病院」というのが正しい。しかし、古い札幌市民にとっては、「札幌」は当たり前だから省略して、「市立病院」と呼ぶのが習慣になっているようだ。
市立病院は、北海道・札幌の開拓とともに歩んだ病院で、古く明治2年銭函に上陸した島義勇判官は、この地に仮役所を開設すると同時に、その敷地の片隅に診療所を設け、これが市立札幌病院の始まりとされている。翌明治3年、札幌本府の建設が本格化するとともに、元村(北13東16、現在の「札幌村郷土記念館」の場所)にも仮病院を開き、さらに手狭のため北3東1の開拓使官舎(現在の札幌鉄道病院敷地。鉄道病院は平成21年全面改築して、「札幌JR病院」と改称)に移転した。
明治23年には北1西8に再移転後、大正9年火災で院舎焼失したが同12年再建され、長らくこの場所で自治体の医療を支えた。平成6年には現在地の桑園地区に移転した。
今、旧市立病院の建物の一部を活用改装して「リンケージプラザ」の愛称の下、札幌市、中央区の福祉活動全般、市民ボランティア活動支援、博物館活動センターなど、多彩な活動の拠点となっている。私もしばしばこれらの機関にお世話になっている。リンケージプラザの裏側(北側)と専用駐車場との間に、草ぼうぼうの狭い緑地空間が今でも残っていて、これが旧市立病院の遺構と知る市民は少ない。
周りを樹木の茂みに隠されたように、真ん中にぽっかりとかって造園された跡地には、石畳み、石垣、常夜灯の造作、ベンチ施設跡のほか、自然にひね伸びた雑草類が幅を利かせている。一部の石垣に寄り添うようにオオウバユリが種実を膨らませていた。
駐車場より見る
今も残る石垣
今も残る石畳
まだ新しい?常夜灯
石垣に寄り沿うオオウバユリ