漁港から南へと港町の海岸線に沿った道路を下って行くと道道228号豊岡余市停車場線と海岸通が交差する辺りの海岸に近く、「幸田露伴の句碑」が置かれている。明治の一時代を築いた文豪・幸田露伴は明治18~20年の間(16~18歳)、電信技手として余市で過ごしており、これを記念として句碑「塩鮭のあ幾と風ふく寒さかな」が建てられた。露伴が北海道の気候に合わなかったのか、文学への情熱がたぎっていたのか、2年間の余市居住の後、放り出すように東京に帰ったという。今回の幸福行脚では「幸」の字にあたる。
露伴の句碑から程近い場所に国立行政法人の「余市水産試験場」の建物があるが、びっくりするようなデザインと外壁の派手な黄色と壮大さであった。