国道337号線「生振大橋」で茨戸川を西に渡ると石狩市生振地区に入る。北海道の広い農地によく見られる道路割りは東西南北直交型の路線で、生振の場合は西から東へ順に1~8線、南北は中央基線を基準に北へ一~三号、南へ一~二号となっている。このうち、南二号線が国道337号線となり、8線が道道508号線で直接国道231号線(石狩留萌線)の走る石狩河口橋や弁天町に出られる。生振大橋を渡ってすぐの8線の奥には、茨戸ゴルフ場、ばらと霊園、勢至観音などがある。国道の道端には、ノブドウの群落やオニアザミの枯れ花などが秋の風情を見せて楽しい。
8線入口のばらと霊園の看板
オニアザミの枯れ花
ノブドウ
今回の歩行では、国道337号線(南二号)を西へ進むと6線道の入口があり、1.5キロほど北にある日蓮宗日正寺の看板が道路角に建っている。どうやらペットの葬儀・埋葬も手がけているらしい。国道に沿って6線の少しへ進み「生振寺(しょうしんじ)に立ち寄る。同寺の宗旨は浄土真宗大谷派、明治36年の開山というから、石狩市でも古刹に該当するが、本堂など関連施設は新しく、何度か改修したものと思われる。境内にはお定まりの親鸞聖人の等身大銅像が建つ。寺の家人の丹精か、コスモスなど秋の花々が咲き誇っている。
生振寺
5線と交叉する角で国道を離れて北へ進み生振の中心部へと向う。そもそも今回歩行の第一の目的は、山口大師と「生振神社」の訪問にあるが、1キロほど歩くと基線と交叉する。この交叉点付近には、生振開拓の歴史記念物と住民のコミュニティ施設が置かれ、昔なつかしい消防分団の施設と火の見櫓が建っている。昭和53年発行の古い地形図には、火の見櫓は高塔の記号があるが、平成18年発行の最新版では消されている。現物が残存しているのに、もはや高塔とは見なされないということか。消防施設の向かい側に「高橋商店」と看板の雑貨屋があるが、品数も少なく商売熱心とは云えない。生振に足を踏み入れて以後お店は皆無でやっと見かけたものの、この地区の住民は必要なものを花川や屯田など郊外で週末にまとめ買いするようだ。農家の配置も典型的な「散村」となっている。
消防分団の建物と火の見櫓
交叉点から北へ300mほど進むと右手(東)に生振神社の赤いトタン屋根の拝殿が見えてくる。
神社の入口には、愛知団体の入植・開拓記念碑や風雪に耐えず碑文の読めない古い碑などに露払いされ、神社の参道は5線道路より少し奥まった場所に鎮座しており、拝殿まで三連の石灯篭と二連の狛犬に迎えられる。神社の創祀は、明治34年で古く各地に置かれた小祠を合祀したというが、神社を囲む神社林はまだ若く、社殿をこの地に移転したものらしい。
生振神社正面
愛知団体入植記念碑など