JR白石駅南口から鉄路に沿って東に進み、「やなぎ公園」で昔なつかしい石炭ストーブのコンクリート製モニュメント(この公園は「福禄ストーブ」所縁の地らしい)を見てから、付近の土地に鈴木レンガ工場の当時の盛業を偲びつつ、「水源地通」の高架道路下を潜ると「白石本通墓地」の西端に出る。
明治5年、白石村の開拓者たちは、現在の環状通沿いの平和通1丁目南(白石区温水プールの建っている位置)に墓地用地(中央墓地)を開拓使に申請して許可されている。しかし、東端に住んでいる開拓者達からはこの位置は遠すぎて、近いところにもう一つ墓地がほしいと要望が出されたが、役所は一村一墓地の原則が崩れるとの理由で申請を却下した。そこで東の住民は無許可で明治13年頃に墓地(本通墓地)を造ったという。この墓地には、現在では珍しい土管の墓石群がある。墓石を製造したのは、当時の鈴木レンガ工場の職人だった野田家の一人で、親族全ての墓石をやきもので造った。
土管の墓石
鳥居のある墓石