「篠路」地区は、発寒と並んで札幌市で最も早くから開拓が始まったところとして知られている。安政5年、幕臣荒井金助が早山清太郎に命じて農家8戸を入植させたのが村の始まりとされており、明治元年には32戸の部落になっていたという。「篠路」の語源は、アイヌ語で「スゥォロ(鍋を浸しておくところ)」と云われているが、意味不明ともされ定説はない。
篠路地区(平成4年頃)
「上篠路」は、かって「五戸」とよばれた地区付近を意味したが、現在の地名では「篠路町上篠路」となって、「十軒」地区や「赤坊川」流域、「丘珠飛行場」の北側までを広く含む。地名以外には、中学校や橋の名前に現存する。「上」の冠は、「篠路」本村に対して、豊平川の旧河道である「フシコサッポロ川(現在の「伏籠川」)」や旧琴似川の上流に位置するためであろう。札幌本府からみても「上」に当たる。
篠路神社
五戸の森緑地