濁川から東へ「曲長通」を横断して1キロ半ほど、運河筋に沿ったかっての川岸らしきヤブの中を進むと、細い排水路に沿ったこれも細いアスファルト舗装道路に交差する。この排水路は「東濁川」という立派な名前が付いていて、かっては自然河川濁川の支流であったらしい。今では地図を見ると「明日風」地区のど真ん中を流れる排水路として人工的に整備され、北へ流れて濁川に合流する。
東濁川
ここから一旦運河筋を離れ東濁川に沿って北へ歩いて行く。500mほど進むと、前方に交通量の多い国道337号「道央新道」の向かいに学校らしき建物が見えてくる。学校の正門には「北海道札幌あすかぜ高等学校」という真新しい看板が懸っている。昭和47年以降札幌市西区手稲となって「稲」の字の付いた4つの道立「手稲」、「稲雲」、「稲北」、「稲西」高校が出来、手稲高校が昭和49年開校、他はいずれも昭和58~59年に開校した。最近になって生徒数の減少のため、「稲北」と「稲西」は統合されて新しく「あすかぜ高校」となり「稲北」の校舎を使用、「稲西」の校舎は星置地区の養護学校「ほしみ高等学園」として活用されている。
あすかぜ高校(旧稲北高校舎)
今回、「あすかぜ」地区には立ち寄らなかったが、この地区名称は、平成19年、手稲山口と曙の一部で、下手稲通の自動車運転教習所の北側に当る一角を新規に地名設定された。地区内に新しいショッピングセンターや「明日風公園」がある新興住宅地となっているらしい。新しい住民達が新鮮な地区名を好むのは理解できるが、古い歴史や絆が軽んじられているようでちょっと気にかかる。