国の特別天然記念物「昭和新山」パークの一角に生誕百年を期し昭和63年移設・開館した「三松正夫記念館」がある。三松正夫氏の縁者が記念館の管理を受け持っているそうだ。三松正夫は明治21年生まれ、当初画家志望であったが断念して郵便局員となる。
明治43年、昭和19~20年、昭和52年と生涯に三度の有珠山噴火を体験、その活動の終幕を待たずに同年12月満89歳で病没。太平洋戦争中の昭和新山の観察・記録は戦後の昭和23年オスロでの万国火山会議で「三松ダイヤグラム」と命名され絶賛される。氏の絵の素養がダイヤグラムの精細な作図や昭和新山の生々しい写生に生きており、氏と昭和新山との運命的な出会いを感じる。
(三松記念館)
(金毘羅山火口)
(西山噴火で水没した旧230号国道)