午前10時頃に石狩川をJR札沼(学園都市)線で渡り、こげ茶色の板壁に白い縁取りのある、トンガリ屋根の載った駅舎が印象的な石狩太美駅に降り立つ。 石狩太美駅は、昭和9年札沼南線(桑園駅-石狩当別駅)開通により、一般駅として開業。昭和62年国鉄分割民営化に伴いJR北海道に継承。H2年駅舎改築、自動券売機を導入して無人駅となる。駅舎内には、かってロイズの売店があったが、現在は町運営の観光情報プラザが設置されている。
この季節、駅正面のキングサリの木が見事な黄花を咲かせている。
(JR石狩太美駅)
(キングサリの花木)
「太美」という地名はアイヌ語ではなく、近くの「当別太」(プトはアイヌ語で河口の意)と「美登江」の集落の2文字をとって合成した和地名と云われている。元々は石狩川右岸沿いの美登江発祥の地に集落があったのだが、札沼線が開業して以降次第に太美駅周辺に多くの人が住むようになった。平成2年、スウェーデン国王の太美訪問を契機に、当別町は同国レクサンド市と姉妹都市提携し、太美駅前には記念のプレートが掲げられている。
(石狩太美駅周辺地図)
(スウェーデン国王のメッセージプレート)
石狩太美の辺りは当別町中心部から見て西に位置し「西当別」地区と称される。この地区の初等教育は、明治26年説教所が曹洞宗の古刹・松雲寺に置かれて寺子屋式塾教育が行われたのが始まりと云う。戦後の昭和24年に太美、獅子内小学校が合併、同26年に校舎を新築し、西当別小学校という名称で開校している。
(松雲寺2) 石狩太美駅の南東に昭和3年土功組合建立の天照皇大御神など五柱を祀った古い小祠がある。防風林を活用した境内の林間緑地も土功組合の土地らしく、まだ新しい農業用水路の竣工記念碑も置かれている。小さいながらも石の鳥居を潜ってお参りするとなかなか風情のある神域だった。
(鳥居、用水路工事竣工記念碑)
(天照皇大御神祠2)