●プロローグ
今年の夏は暑さが続いたためか、秋の紅黄葉が遅れているようだ。やっと樹々が色づいてきた今日この頃、西宮の沢地区の山麓沿いを歩いてみた。
手稲と札幌の関係は、昭和42年手稲町と札幌市が合併、昭和47年札幌が政令指定都市に移行し、平成元年には西区から手稲区が分離する。元々、発寒川の西側に位置する現西町、宮の沢、西宮の沢地区は手稲町上手稲であったが、現在は西宮の沢だけが手稲区に残留している。即ち、追分通が両区の境界だが、山裾は上富丘川が境界になっている。何故か西宮の沢の南西部は西区の山奥まで張り出している。
(大正5年地図)
●中の川から上富丘川へ
「西町北20条」のバス停で宮の沢バスターミナル行きの路線バスを降りる。西野屯田通を横断してすぐ、元水産会社の建っていた敷地が大野病院に代わっている。この病院は循環器系の治療で知られてきた病院で、2年前に発寒川・山の手橋の袂から、現在地の北5条手稲通沿いに新築・移転した。7年前に私の親友がこの病院で胃の健診を受けたが、その後程なくして別の病院で末期がんが見つかり、この病院には良い印象がない。
(大野病院)
(札幌西インター入口)
イシヤ製菓の店舗・工場は今やミニDSL化して、相変わらず海外からの観光客で賑わっている。札幌西インターの下で札樽自動車道を潜り、北5条手稲通の西へ歩いて行く。バスを降りてから1キロほどで「追分川」を跨ぐ橋に来る。橋の袂から区界に沿って上流側に足を向けると、すぐに「中の川」に出会う。地図によれば、この100mほど中の川の上流で「追分川」が分岐している。
(現在の地図)
(国道を潜る追分川)
ラブホテルの建ち並ぶ川沿いの道を少し遡って中の川の護岸内を覗くと、河原のコンクリート床留めブロックに追分川の分流用の水路が掘られていて、中の川の右岸沿いに導水されている。本来、この川筋は、追分川の流域だったが、市土木センターが治水目的で、人為的に中の川の水の主流をこちらへ繋ぐ工事を行った結果、主客が逆転して川の名前も中の川となった。詳細は後述する。
(昭和25年地図)
(平成7年地図)
(追分川4)
先ほどの区界の道に戻り、ここで中の川に「上富丘川」が合流する。区界に沿って上富丘川を遡り札幌西ICの下を潜って山側に出ると、すぐに北1条宮の沢通を載せる桂の沢橋の袂に出る。ここら辺りの川は小さいながらも勾配が急で、山側では何段にも設けられた砂防堰堤が続く。橋袂に建つマンションの裏側の踏み分け道を川沿いに辿って行くと、500mほどで西宮の沢の新興住宅地の最奥に至る。最上流にある砂防堰堤にはそこそこの大きさの人工池が出来ていて、周囲の鬱蒼たる樹林に囲まれて幽玄の雰囲気を醸し出している。
(上富丘川4)