発寒川右岸の上流部のこの辺り、平和地区も場末となり住宅も少なくなる。その代わり空き地利用でゴミの不法投棄?が目立つ。建設廃材、古タイヤ、何と移動式簡易トイレまで捨てられている。右岸の川沿いには当初遊歩道がなく、仕方なく幹線の「手稲右股通」に出る。この道路にはバス終点「平和の滝入口」までのJRバスが走っている。幹線道路を川沿いに東へ下っていくと、ほどなく「平和病院」に出会う。この施設は、医療法人・静和会が経営する医療機関を核に、病院併置型の介護老人保健施設「平和リハビリテーション病院」が統合されている。内科、整形外科など病床数160(内、医療保険適用120、介護保険40床)
(平和病院2)
(路傍の植生2-4)
平和病院施設の道路向かいには、近隣公園「平和渓流公園」が座る。街区公園の立て看板標識とは違い、近隣公園になると石に刻まれた公園標石になる。この公園は、多目的広場、ゲートボール場、テニスコート、東屋・ベンチ、児童遊具等をフルに備えた1haの広さを持つ。公園の北側から右岸の遊歩道が川沿い下流に向けて付いており、前述した工事中のやまなみ橋の右岸側と繋がる。しかし、最近は公園で遊ぶ子供の姿を見かけることは少なく、その代わりたまに暇を持て余した高齢者を見かけることが多い。ご同様の私も空いている木陰のベンチに座って昼軽食休憩とする。
(平和渓流公園4)
(発寒川右岸平和風景4)
川沿いの遊歩道を下流に向けて歩いて行くと幾つかの小さな街区公園が連なる。そのうちの1つ「平和風の子橋公園」の東端から再び手稲右股通に出て東へ進むとこの辺りの氏神「西野神社」が道路沿いに座る。
明治18年、広島(現在の西野地区)・右股(現在の平和地区)・左股(現在の福井地区)の3地区開拓の守護神として各3柱を奉斎する小祠が建てられる。これが西野神社の創建とされる。明治32年、西野全域統合の神社として社号を「西野神社」とする。昭和27年に神社本庁から、翌28年には北海道庁から、それぞれ宗教法人西野神社規則が承認され、同年、西野神社の宗教法人設立の登記手続が完了。令和元年、神楽殿跡地に、神前結婚式をはじめとする各種神事が斎行できる殿舎として儀式殿が新築される。儀式殿の竣工に合わせて、大祭として竣工遷座祭が盛大に執り行われる。
この神社は、安産の守り神としても有名で、十二支多産犬の石像がユニークだ。また、なかなか商売が上手で最近敷地に甘味処もしつらえて参拝客を呼び込む。
(風の子橋と風の子橋公園2)
(路傍の植生3-4)
(西野神社と右股橋4)
西野神社を後にして「右股橋」で発寒川を渡り、すぐ近くの「西野9条5丁目」のバス停で帰りのバスを待つ。
(発寒川右股地理院歩行図)