「福移」地区は北区篠路町の最東部で、石狩川に沿った地区である。昔は「当別
太」と呼ばれたところで、アイヌ語の「ト・ペッ・プト」(沼のような川の口)の意味。当
時、石狩川がここで鋭く湾曲し篠路側の岸が半島のように突出し、ちょうどその対
岸に当別川の川口があり、当別太の地名があった。明治15年4月に、北海道移
住開墾社を組織した筑前(福岡県)の人達40戸が入植したので筑前開墾と呼ば
れた。福移の名前はこれに由来する。
福移小学校は、明治17年、高崎国丸を教師とした寺子屋教育から始まる。明治
25年には公立篠路簡易小学校福移仮分校として開設され、第1回卒業生4人を
明治29年に送った。現在は、「福移小中学校」として、札幌ではめずらしい小中併
設の学校で各学年1クラス20名の定員で運営されている。教育の一環として天文
観測が組み込まれ、校舎の屋上には立派な天文台が設置されている。通学路脇
には驚くほどの大きさに成長したヤチヤナギの大木が数本あって、きっと開拓当時
からのものと思われる。
「福移神社」も篠路神社の摂社で福移小学校の手前に隣接した敷地にある。亡
父のスケッチ帳の絵によれば、神社の周りは木立に囲まれているように見えるが、
今では参道の周りに樹木は疎らで二、三基の記念碑が置かれている。折から、
隣の敷地では、ぽつぽつと小雨の降る中で、小学校の課外活動なのか先生の指
導の下、一クラスの生徒が学校菜園の手入れをしていた。
福移小中学校
福移神社